「ら」と「い」はどこへいった

言葉の力

ラ抜き言葉が普通になりつつある今日この頃、イ抜き言葉も普通になりつつあること気がついていますか? これはちょっと問題あり。

マスクの中に消えた「イ」

マスクが日常の風景になって幾年月、外すことに抵抗を感じる若者も多いようで、素顔を見せないまま学生生活を終えたという笑い話にもならないエピソードも耳にする。

最近、会話をしながら気になることは「イ」がどこかに消えてしまったこと。

「令和」はレーワ、「例」はレー、「冷静」はレーセー、「学生」はガクセーというように「イ」がないのである。どこに消えたかよくよく考えてみると、どうも「マスクの中」のようだ。

ナレーションやフリートークの研修をしていても「イ」を抜いているケースがあり、気になって仕方ない。本人たちも無意識なことが多く、「イ」が消えていることは、もうすでに日常なのかと心配になる。

最小労力の法則

「イ」の音を発音するのには、口を横に開かなければならない。これをサボると「イ」が消えることになり、ヤバイ(ヤバッ!)。マスクの中であまり口を動かさない最小労力で話す習慣が身についてしまった結果「イ」が消えてしまったようだ。「最小労力で最大利益を得る」という法則はあるが、この場合の最小労力はアウト。日本語的にもアウトなので、しゃべる仕事の場合は、特にきちんと押さえておきたい。

ラ抜き言葉

「イ」が消えるよりずっと前に消え始めたのが「ラ」。食べれない、食べれます、考えれない、出れる、挙げたらキリがないほど会話に溶け込んでしまっている。これも正しい日本語としてはアウト。食べられない、食べられます、考えられない、出られる、こうして並べてみてわかることは「ラ」の音が出しにくいということ。滑舌をチャンとしないときれいに発音できない。         

「ら・り・る・れ・ろ」ラ行はとても言いにくいため、滑舌をサボった結果「ラ」が消えてしまった。

イ抜き言葉はしゃべったときにだけ気になるが、ラ抜き言葉はしゃべったときも、文字として書いたときも気になるから要注意だ。せめて書くときは「ラ」を抜かないように心掛けよう。

話しが通じればいい?

「イ」が消えても「ラ」がなくても、話が通じればいいじゃないと思ったのでは?

確かに話は通じるが、言葉が軽い感じは否めない。軽やかではなく、軽々しい印象を与えてしまうのは、かなり残念かも。

第一印象

第一印象の良し悪しの要素には、必ず「言葉遣い」が入っている。

「イ抜き言葉」や「ラ抜き言葉」は、ていねいな言葉遣いという印象にはならないので要注意。

春は新しい出会いも多くなる季節、「イ」と「ラ」をちょっと意識だけで好感度が上がることをお忘れなく。