先日、仕事の移動中に時間が空いたのでスタバに入った時のこと。そのスタバはいつも混んでいるが、運よくすみっこの席をキープ。ちょっと気分転換できるなぁ~と、ラテを飲みながらゆったり過ごすつもりだった。後ろの席では大学生らしい3人が近況報告らしい話で静かに盛り上がっていた。聞くとはなしに彼らの会話を聞いているうちに、あることが気になって、途中から真剣にその会話に耳を傾けてしまった。と言っても、会話の内容が気になったのではなく、「なんか」「一応」「マジ」など、彼らの口ぐせが気になってしまったから。彼らの会話に出てくる「なんか、一応、マジ」の回数を数えてみたくなり(数えた)、集中して聞いて(数えて)しまった。
結局、彼らの口ぐせが気になってゆったりは過ごせなかったが、
「なんか」おもしろかった。
『なんか』
最近一番耳につく口ぐせは「なんか」。スタバの大学生たちも接続詞のように使いこなしていた。「なんか」は70年代~80年代頃から広く使われるようになったようで、もともとの「なにか」が、若者の会話の中でカジュアルになり「なんかさ~」と使われるようになり、それから「なんかウケる」「なんかヤバい」や、90年代には「なんか知らんけど」のようなボケとツッコミに使われ方が広がりました。「なんかイイ感じ」と感覚的な印象を言い表すときにも、私たちはフツーに使っています。 「なんか」を使う深層心理には、曖昧な表現として直接的な言い方を和らげたいとか、話のトーンを軽くしたい、話し手が考えを整理する時間を稼ぎたいという気持ちがあると言われています。会話を柔らかくしたり、遠回しな表現にするためにはとても便利ですが、使い過ぎると、その曖昧さが自信の無い印象につながる可能性があるので、ほどほどに。
『一応』
「一応」は90年代から若者言葉として使われるようになったようです。相手に対して強い断言を避けるため、柔らかい言い回しに変換したいという気持ちが入っているのだとか。
「入学試験に合格したの?」に対し
「一応は・・・」
「引っ越すことにしたの?」に対し
「はい、一応・・・」
こういう場合は、はっきりとひと言「はい」だけでいいはずですが、「一応」と答えられると曖昧さを感じて、聞き手には一瞬「?」が浮かびます。
『マジ』
60年代から70年代に広く使われようになった「マジ」は、江戸時代の言葉「真面目」が語源になっています。本来は、「本気で」「本当に」という意味で使われていましたが、80年代には「マジ?(ほんとうに?)」「マジうま」「マジらく」「マジへた」などに変換された若者言葉やギャル語から日常会話に溶け込んでいきました。
「マジか!」「マジで?」は老若男女問わずすっかり馴染んでいます。
『‥‥⤴』 語尾上げ
21年ごろよく耳にした語尾上げ口調は、周りを困惑させる口ぐせでした。
「昨日買ったキャベツが⤴、800円⤴」この口癖は、疑問を投げつけているようで、実はそれとなく同意を求めている空気があり、多くの人が「押しつけがましい」と感じていたはずです。
そのせいかどうか・・・、
最近あまり⤴ 聞かないですね。
『‥‥じゃないですか』
押しつけがましいと言えば、「・・・じゃないですか」も、気になる口ぐせです。90年代からよく耳にするようになりましたが、「…じゃないですか」と押し付けられると、相づちに困ります。
口ぐせは、人から人へ移る?
誰かが言っていた口ぐせを、自分もいつの間にか使っていたという経験はありませんか? 「この口ぐせはカッコ良いから使ってみよう」と思って練習したという訳でもないのに、いつの間にか口ぐせになっている。不思議です。
口ぐせは人から人へ移るのでしょうか。
ミラーニューロン
脳にある神経細胞ミラーニューロンの働きのひとつに、自分以外の人の行動や言語を無意識にマネする模倣学習があります。「口ぐせ」はこのミラーニューロンの模倣学習が働いて、無意識のうちに周りから聞こえてくる「口ぐせ」をマネしてしまうのです。特に親しい人や、影響を受けやすい相手の言葉は自分の話し方に反映されやすいとのこと。最近はインフルエンサーやユーチューバーの話し方、例えば「なるほどですね」「やばい」などが視聴者に移り、無意識にマネしてしまう傾向があるようです。
スタバで耳にした「口ぐせ」が、
まさか脳神経細胞の話にまで辿り着くなんて
なんか、マジ、やばい!